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2006年2月10日 (金)

すべては構造改革

 2月号の広報「市長のノートブック」では、「今年も引き続き構造改革を強力にすすめていきます。改革には痛みを伴いますが、一方で、その痛みを最小限に抑える努力をしなければなりません。改革の一環である公民館のあり方の見直しについても…」との言葉が綴られています。
 今回の改革は、単に「生涯学習都市」をつくるというための改革でしょうか。むしろ、それは教育委員会改革につながるものなのではないかと感じます。

 「教育のあり方懇」が設置されるなか、枚方の教育のあり方そのものが議論をされてもおかしくありません。
 その一方で、教育委員会から社会教育をなくし、青少年課が所管する留守家庭児童会の福祉部への移管も検討されています。

 中司市長は大阪府市長会会長でもありますが、全国市長会が昨年9月27日に出された提言には以下のように書かれています。

「生涯学習・文化振興に関わる分野については、教育委員会の所管とすべき強い事情があるとも考えられない。また、市民センターや美術館、図書館、博物館にみられるようにこうした行政については街づくり、人づくりの観点から、都市自治体において、むしろ教育委員会という枠をこえて、総合行政のなかで市長主導で、その責任のもとに行うことを原則とすべきである。」

 この文書の前の項では、「教育委員会の選択制導入」についても提言されています。
 「教育のまち枚方」をつくるために、教育行政も総合行政のなかで、ゆくゆくはやるべきと考えているのでしょうか。
 今度の問題での審議のように形骸化された教育委員会を市民に見せつけて、本当の狙いを正々堂々と主張することなく、着々と教育委員会の縮小・解体に向かっているのではないでしょうか。

 私自身、「教育委員会なんていらない」と思うことが度々ありました。学校統廃合、幼稚園廃園、英語特区、校区弾力運用、そして公民館問題と、どれ一つとっても市民意見をないがしろにして進められてきたからです。
 しかし、今の時代状況を考えるとこれはさらに大きな流れにつながっているようにも思います。憲法改正、教育基本法改正の流れのなかで、何がつくらえようとしているのかを考えると、手放しで「教育委員会」を廃止する流れにのっていいのだろうかと思います。

 「教育委員会」に改革が求められているのは確かです。

1999年に、『教育改革に関する報告書―選択・責任・連帯の教育改革』を新自由主義経済改革を推進する社会経済生産性本部が発表しました。
 その中で、現行の教育委員会制度を厳しく批判し、社会教育・生涯学習部門の可能な限りの民間委託と学校教育に関する権限の校長への移管により、教育委員会の大幅な整理縮小を大胆に主張しています。

 その後、地方六団体の一つである全国市長会は、2001年(平成13年)「学校教育と地域社会の連携強化に関する意見―分権型教育の推進と教育委員会の 役割の見直し―」を出し、生涯教育分野に関しては、「縦割り型ではなく、多方面からの総合的な対応が望ましいこと、このような分野に関しては、教育の政治 的中立性確保といった理由から特に教育委員会の所管とすべき強い事情があるとも考えら れない」として市町村長の所管とすべきとしている。この主張は、その後も全国市長会の基本的な提言として主張され続けています。

 地方分権改革推進会議は、2004年(平成16年)に、「各地域の実情に応じて地方公共団体の判断で教育委員会制度を採らないという選択肢を認めるべ き」と教育委員会の必置規制の弾力化を求める意見書を提出している。同会議は、「生涯学習・社会教育行政の一元化、幼保担当部局の一元化の観点から、地方 公共団体がこれらの担当部局を自由に選択・調整できるようにすることが必要」とも述べ、地方分権時代の到来に備えた地方教育制度の新たな基盤整備の重要性 を訴えている

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