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2011年5月 5日 (木)

こどもの日

 しんぶん「赤旗」のコラム「潮流」によると分かっているだけでも130人もの子ども達が震災で親を亡くし、震災孤児になったそうです。

 選挙後に初めて配った市政ニュースで、相馬市の市長さんのメルマガを紹介しました。相馬市では、この子達が大人になるその日まで生活支援金を支給するための条例をつくろうとされています。(本文続き参照)

 社会全体であたたかく成長を見守り、支えなければと思います。

 以前から気になっている事があります。

 施設で暮らす子ども達に対する我が国の支援は、冷たすぎるのではないでしょうか。

 18歳で施設を出なければならない子ども達。1人で生活を始めるのにも、十分な支度金も出ません。

 こういう現状も変えていきたい。

 そう強く思う、子どもの日です。

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 暦ははまた3月11日に戻ってしまいます。一夜明け、上空から水びたしの街を写す映像がとらえた、孤立する小学校。屋上で助けを求める子どもたちの姿が、目に焼きついています▼どこの学校だったのでしょう。じっとヘリコプターを見上げる子が、体全体で問うているようでした。いったい、なにが起こっているの? あの子の友だちや家族は、無事だったのでしょうか▼宮城県の石巻市では大津波が、北上川の河口から4キロ奥の大川小学校まで押し寄せました。児童の7割にあたる84人が、命を落とすか行方が知れず。東日本大震災で死亡・不明の東北3県の子どもは、小・中・高校に通っていた人だけで約540人といいます▼数日たち、別の子どもたちの姿が伝えられました。避難所で、力仕事に、被災者を励ます催しに、はりきる中学生や高校生です。地域の立派な支え手。彼らは、復興にさいしておとなに意見をいい、街づくりや村づくりに参加する、十分な権利をもっています▼分かっているだけで130人が、震災孤児になったといいます。多くは親族から、あるいは全国の人々からも救いの手が差し伸べられています。けれど、悲しいとき寂しいときは泣いたっていい。詩人もうたっています。「なくぞ/ぼくなくぞ/いまはわらってたって/…/ぼくがなけば/にほんなんかなみだでしずむ…」(谷川俊太郎「なくぞ」)▼涙のあとの目には、世界が前と少し違ってみえるかもしれません。そこからまた、新しい一歩が始まります。

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◆━━━ 相馬市長立谷秀清メールマガジン 2011/04/24号 No.251 ━━━◆
           

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みなさんこんばんは、相馬市長の立谷秀清です。

今回は、私の書き下ろしエッセー「震災孤児等支援金支給条例」をお届けしま

す。

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●震災孤児等支援金支給条例

 被災から40日たって巨大津波の相馬市の被害の全容が明らかになってきた。

 まず、床上浸水以上、つまり津波による流水の前に住人が生命の危機に曝さ

れた家屋が1512世帯、住民基本台帳での人口は、前回から修正して5249人だっ

た。その中で、今日の段階で死者および行方不明者の合計は475人。津波襲来

の時にこのうちの何人が被災地にいたのかは不明だが、現段階で死亡者の数が

一割を切っていることには、驚きと感謝の気持ちを禁じえない。原型をとどめ

た家屋がほとんどない程の大津波から、9割の住民を避難させたのは地元の消

防団員たちだった。しかし、その犠牲者数は前回のメルマガ時から3人増えて

10人となった。


 磯部地区の方々が集団で避難生活をしている「はまなす館」で、殉職された

消防団員のお母上とお会いして首を垂れた。息子を亡くした心中を察するに、

私は何と申し上げたら良いか?お詫びしたい自分の気持ちをどのようにお伝え

すべきか?迷いながら視線を上げた私の前で、背筋を凛と伸ばした彼女は気丈

だった。

 「止めたのに、仕事だからと言って避難誘導に向かった。やさしくて良い息

子だった。残した子どもたちのためにも私はしっかり生きなくてはならない」


 殉職した消防団員10人の子供の数は11名、うち18歳未満は9名である。社会

人として自立する前の子供たちを残して、死んでいった彼らの気持ちを思うと

胸が苦しくなる。さぞや無念、心残りだったろう。多くの市民を助けた代償と

しても、余りにも重く、辛い。相馬市が続く限り、市民は彼らを忘れてはなら

ない。

 我われ残された者たちが、父親の無念の代わりを果たすことなど、とても出

来ないことだが、万分の一でもの償いと思い、生活支援金条例を作ることとし

た。遺児たちが18歳になるまで月々3万円を支給するものである。全くの孤児

となった、あるいは片親だけを合わせ、今回の災害で親を亡くした18歳未満孤

児または遺児は、全部で44人にのぼる。この子らが成長するまでの経済的負担

の一部を、市の責任で担っていくことを市民の総意で決めようと考えている。

今月の臨時議会にかけ議決を得しだい支給することとしたい。


 財源は、遺児たちのための義援金の基金口座を作ったので、出来れば世界中

からの善意をいただきたいと思っているが、不足する場合は市の一般財源で対

応する。総額は約2億円。

 もしも、義捐金がこれを突破することがあれば、次には大学進学のための奨

学金などに充てていきたい。その際は条例を改正することになるが、もうひと

つの条件は、孤児らに、将来強く生きていくための学力をつけさせることであ

る。

 相馬市の小・中学校は4月18日に遅れた新学期を迎えたが、心配したとおり

被災地の子どもたちは、心の傷が学習の障害になっている。我われは、臨床心

理士と保健師ら常勤6人体制による「相馬フォロアーチーム」を結成し、教育

委員会の別働隊として被災児童生徒のサポート体制を敷いた。現段階で2年は

継続することとしているが、仮に精神が安定した後もしばらくは、学力向上の

ためにきめ細かな指導を続けてもらいたいと思っている。

 先日、私のメルマガを読んだというフィンランドと英国のテレビ局が取材に

来たので、「貴国の友情をこの子らに!」と呼びかけた。ゆえに相馬市のホー

ムページの義援金口座ワッペンは英語バージョンも用意した。

 拙稿の読者諸兄にもご賛同いただけるよう、平身低頭。

※相馬市ホームページ
 
「震災孤児及び被災者就学資金義援金を受け付けています」

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